著者名 | 毛利甚八 |
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出版社 | 小学館 |
出版年月 | 2006年12月 |
参考価格 | ¥1,760 |
頁数 | 536p |
ISBN | 978-4-09-366052-5 |
内容 |
【要旨情報】 1906年、鍛冶職人・本田儀平の長男として静岡県磐田郡光明村に生まれた本田宗一郎は、15歳にして早くも自動車の修理を自分の天職と決め、青雲の志を抱いて上京する。湯島のアート商会で奉公をして技術を磨き、弱冠18歳で外国製の消防車の修理をやってのけ、並みいる大人たちの度肝を抜く。修業を終え浜松に帰った宗一郎は、アート商会浜松支店の若社長として卓越した技術力と経営の才覚を発揮する。当時の内閣総理大臣以上の給与を稼ぎ、「浜松にアーさんあり」とその名を轟かせる一方、レーシングカーを自作するなど、技術に関することならなんでも採算を度外視して夢中になって克服してしまう天才であった。昭和21年、現在の本田技研工業の前身、本田技術研究所を設立。無線用の発電機を改造して自転車に積んだ簡易オートバイ「バタバタ」の開発、昭和26年に発売したオーバーヘッドバルブ4サイクル・150ccの画期的なオートバイ「ドリーム号E型」の大ヒットで会社の基礎をかため、昭和33年のスーパーカブの驚異的な売り上げが、日本一のバイクメーカーとしての地位を不動にする。そして昭和41年、2輪の世界グランプリで5クラス制覇の完全優勝、念願の「2輪世界一」を手に入れる。翌昭和37年、S360、T360をモーターショーに出品し4輪市場への参入を表明すると同時にF1への進出を世界に向けて宣言、一気に「4輪世界一」へ向けて第一歩を踏み出す。そして、栄光と賞賛の嵐の中であえて後進に道を譲って経営の第一線から退いてからの知られざる日々。頂点にのぼりつめてもなお奢ることなく、一技術者としての王道を求め続けた希代の「自動車職人」の知られざる実像を描く、迫真のコミック評伝。 >> もっと見る
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目次 |
【目次】 手の出生 アーさんのピストンリング >> もっと見る
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