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著者名 |
後藤敦史 |
出版社 |
講談社 |
出版年月 |
2017年06月 |
参考価格 |
¥2,035 |
頁数 |
304p |
ISBN |
978-4-06-258654-2 |
内容 |
【要旨情報】 ペリーは去った。しかし…。日米和親条約調印後、すぐに鹿児島・下田・箱館にあらわれ、幕閣を恐慌に陥れた「もうひとつの黒船」を知る人は少ない。司令官ロジャーズの目的はなんだったのか?日本開国の経緯をアメリカの視点から検討し、歴史の波間に沈んだ「幻の艦隊」を引き上げる!
【e-honおすすめコメント】 現在の日本史学は、ペリー来航を実際以上に過大評価しているといわざるをえない。これが、本書の立場です。ペリー来航が日本史にとって重大な歴史的事件であったとしても、それがそのままアメリカ外交の歴史にとっても重大な事件であったことを意味するわけではありません。にもかかわらず、日本人あるいは日本史の研究者は、ペリー艦隊の派遣がアメリカ外交史上でも重大事件であると思いこんでいたのではないでしょうか。アメリカにとって最大の目的は、東アジア貿易でイギリスに対抗すること、その手段として太平洋蒸気船航路を開設することにありました。だからこそ、その航路上に位置する日本列島が、石炭補給地、遭難時の避難港、そして新市場として着目されたわけですが、それはいわば「点」にすぎません。ペリーがやったことは「点」の確保であり、続く「航路=線」の開拓の模索がなければなりません。そして合衆国はたしかに、ペリー艦隊の派遣以外にも手を打っていたのです。アメリカ海軍は日本近海も含めた北太平洋海域一帯の測量を目的に「北太平洋測量艦隊」を派遣していました。司令長官は海軍大尉ジョン・ロジャーズ。この艦隊は1853年6月にアメリカ東海岸のヴァージニア州ノーフォークを出航しました(その7ヵ月前に、ペリー艦隊が日本へ向けてまさに同じ場所から出航)。さらに1854年12月には鹿児島湾、翌1855年5月には下田、そして6月に箱館を訪れています。しかも下田では、幕府に向けて日本近海測量の認可を求めるということもおこなっているのです。老中阿部正弘以下の幕閣は驚愕し、じつは開戦も辞せずという瀬戸際にまで追いこまれました。日本開国にかかわる幕末外交史研究において、この艦隊について検討されたことはほとんどありません。ペリーおよび1856年に来日した初代総領事ハリスについては必ず言及されますが、まさに「ペリーとハリスのあいだ」のの「ロジャーズ来航」はごく一部の研究者に知られるのみで黙殺されたかっこうであり、まさに「忘れられた黒船」といっていいのです。それはいったいなぜなのか……? 本書は、これまでほとんど本格的に検証されることのなかった測量艦隊の、具体的な来日の経緯と国際環境について明らかにし、日本近代外交の起点ともいうべき開国の歴史を、これまでとは異なる観点で描きなおすことをめざします。
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目次 |
【目次】 序章 ペリー来航史観の陥穽 第1章 十八~十九世紀の太平洋世界
第2章 海原への「明白な天命」 第3章 わきあがる対日遠征論 第4章 もうひとつのアメリカ艦隊 第5章 ペリーの影 第6章 いよいよ日本へ 第7章 ロジャーズ来航 第8章 歴史の波間に 終章 太平洋からみる日本開国
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